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本と対話する

この記事は2015 tech-yuruyuru アドベントカレンダー - connpassの6日目です。

tseで遊んだ何か書こうと思ったけど気分乗らなかったので、19日に書こうと思ってたエモい(?)話を書く。(エモい話でもいいよって言ってたから!)




人間というのは多種多様でな生き物で、常に自分とまったく同じ考えをする人など一人も居ないと断言しても良いくらい、いろんな人がいますね。
幼い頃こそ、狭い人間関係の中だけで生活する機会も期間も多く、お互いがどういう人間かどうかを知った上で行動できますが、成長するにつれてそうもいかなくなります。
転校、卒業、入学、入社、転勤。
こういったライフイベントで起こる人間関係という図は、破壊と再構築は人生の中で何度も繰り返し行われていきます。


この破壊と再構築の過程でな、所謂「合わない人」というものがでてきます。
私も例に漏れず、いろいろな「合わない人」と出会ってきました。
幼い頃は、合わなければ物理的に合わないようにするという対処も出来ましたが、仕事なり友人の付き合いなりで、どうしても避けられないことがあって。
そういうとき、最近は、なぜ「合わないのか」を考えるようにしています。

私の場合、だいたいはその人の価値観、言動のベースとなる何かが理解できないと、「合わない」と感じます。
「なぜこのタイミングでこういう発言をするのだろう」、「少し刺々しい雰囲気で、怖いな...」
日々様々な人と接していると色々と思うところが出てきます。
こういった思いというのは、自分の中で相手の印象を妄想して生み出した、虚構、勝手な不安です。
では、こういうものを少しでも生まないために、自分とは違ったものの見方をする人をどのようにして理解し、対応していけば良いのでしょうか。


一つに、頑張ってその「合わない人」とたくさん会話することです。
その人を知る手がかりは、やはりその人と接しないとなかなか掴めないものです。
何度か話していると、こういう人なんだな、というものがわかってきて、他の人と同様に話しやすくなっていきます。

それでも、やっぱり「合わない人」というのがいるのは現実です。
そもそも会話できる立場ではなかったりとか、どうしても話しかけづらい人もいるわけでして。

私はそういうときに、本を読みます。
小説でも良いのですが、なるべく架空の人物ではない、実際に生存している(またはしていた)人が書いた本を読みます。
著者の自伝だったり、世に対する姿勢が述べられた本を読み、その人の考え方を覗き見るのです。
本の形式にも寄りますが、
「私はこういう事柄に対してこう対処した」
ということが書かれているとき、
「私ならもっと荒波立てない考え方をして、違う対処をするだろう。なぜこういうプロセスを踏んだのだろう?」
と考えます。
そして、少し読み進めるとその対処の理由として、だいたいはその人の理念だや信念だったりが述べられていますので、
「少しきつい考え方をすると感じるが、別に悪いことではないし、これも一つの考え方だ。」
と気づくわけです。
そして、
「もしかすると、自分が思い切ったことをあまりしない性格だから、荒く感じるのではないか。」
と、内省するきっかけにもなります。
これを続けていると、「合わない」と感じた人と出会った時に、段々と相手のベースを見るようになります。
今まで出会った考え方に近しいと感じた時は、もしかするとあの人と似ていてooな信念を持っている人なのかも?と、思えるようになっていきます。
あくまで推測で、これを事実だと決めつけるのは良くないことですが、妄想の中で変に怯えたり、必要以上に守備体制に入ることはなくなります。

つまりは、本で世界を広げるということです。
本に書かれている、誰かの思想だったりものの見方と対話することで、いざ実世界で「合わない」と感じた人と出会ったときに、「なんか合わないから嫌だ」と壁を作るのではなく、「自分とは全く別の考え方、価値観を持っているんだ」と、一度相手を受け入れられるようになる、ということです。


この対人訓練・内省プロセスを私は、本と対話することと言っています。
実際には筆者と向かい合って話をしているわけではないですが、ストーリー性のあるものや問いかけ文が多い本だと、対話している気分になれるのです。


私が今まで出会った中でこの人の考え方は新鮮だと感じたのは、棋士米長邦雄先生と福沢諭吉です。
ここに書くと長くなるので何が新鮮だったかは記述しませんが、とにかくこのお二人は、強い軸を一本持っていて、人生の中でそれがブレない。
米長さんは、かなり色々とお騒がせなことをしてきた方ですが、その軸を知って見ると、一見奇抜な行動も理解できるようになります。(この方は、軸とは関係ないお騒がせもままあるとは思いますが)

あと、上記に書き忘れましたが、合わないと感じるひととそれに似た著者がぼんやりとわかるのなら、その人のかかれた本を読むというショートカットもあります。
本でなくとも、こうして今はインターネットで記事を公開・読むことができるので、ネット探して読んでみるというのもありかもしれません。



長々と述べましたが、つまりは本と対話し、異なるものを受け入れる訓練をしている、というお話でした。
まぁ、うまくいかない時もあるけれど。だって人間だもの。
対人について悩んでいる方は一つ、本を手にとってみると良いのではないかなと、思った次第です。


おわりに
==========
これってエモい、のかな?
ちなみに、最近ではエモいという意味にも複数あるようで、
エモーショナルなという意味ではなく、エロい+キモいの略でエモいということもあるようです。
うーん、日本語、ムズカシイデス。。