僕とコードとブルーハワイ

omega (@equal_001) の日記

幼少期から父がおらず叔父叔母のところに預けられることが多く、理不尽にキレる親戚も近くにいたりしたので、割と大人の顔色を伺って生きてきた。
そういう環境にいるとだんどんと相手の表情や声色、仕草などをみて機嫌の良い悪いの差分がなんとなくわかり、その琴線に触れないように行動することが多くなっていった。感覚的なモノなので説明が難しいけど、この人はこういう性格だから自分はこういう言動をしてやり過ごそう、こんな発言をしたら喜ぶな、みたいなのがわかる感じ。
でも社会人になってから、そういうのを全く考えずに発言するどちらかというとガサツな人というのは少数だけど存在していて、そういう人の近くにいると、何度もズカズカ土足で荒らされているから自分ももう気にするのやめようってなり、気付くと自分もだんだんとガサツ人間に寄っていった。
自分ばかり気にしても相手は変わらないというか、そういう微細な変化に気付く能力がないので多分一生変われないのでそもそも相手の変化を期待してはいけない。
なので最近は、一応少しはわかる側だけどわからんフリして気にせず生きておいて、わかった方が良い時はそういう振る舞いをする、みたいにしている。
こんな話をすると人によって態度変えるのか!と非難する訳の分からない人がいるけど、人によってコミュケーションは十人十色だから非難される謂れはない。
昔そういうこと言われた時、お前だってコミュニケーションと称して誰彼構わずセックスするやろ、じゃあやりたいだけのご都合主義ですねと言ってもいいの?何故こちらだけ非難されなければいけないのか?となった。
勿論金持ちで地位が上だからと優しくして貧乏人には石を投げるみたいなのは差別なのでダメだけど、その人にあったコミュニケーション方法を選べるのは有用なスキル。
同じことひとつ伝えるにしても人によってニュアンスを変えることは生存戦略のひとつであり、何も悪いことではない。