僕とコードとブルーハワイ

omega (@equal_001) の日記

デジタル・デトックス

今日はデジタルデトックスもどきを実践してみたらかなり気分がスッキリした。
デトックスといっても、スマホを開かずに散歩して偶然見かけた駄菓子屋さんでアイス食べたり(夜なのに開いている素敵なお店を発見した!)一人で焼き肉屋へ行きどんなに手持ち無沙汰でもツイッターを開かないでご飯やお店に意識を向ける、みたいなことをした。
普段だったら食べ物の写真を撮ってツイッターやインスタに載せて〜みたいなことをしがちだけど今日は一切やらなかった。スマホは時計の役割だけくらいの意識で3時間くらい過ごした。
最初は通知も何もないのに無意識にスマホを手にとってしまう自分がいて、それを4回くらい繰り返したときに「うわ、依存症っぽくて気持ち悪いな」って思い始めた。
スマホに頼らない散歩は否が応でも周囲の環境に意識が向き、何度も通った道や建物でも「実はこれってこういう意味で作られた設計のモノなのでは?」とか新しい視点からの推測が始まったりして結構頭を使っている自分がいた。数秒後には忘れるようなどうでもいい他人の人生垂れ流しメモをみるより遥かに良くて記憶にも残りやすい脳みその使い方をしていそう。


何故今頃デジタルデトックスなのかと言うと、きっかけは同僚がオススメしてくれた映画だった。

www.netflix.com

これはSNSに取り憑かれて食事中や会話するとき、移動時などにずっとスマホをいじってしまう現代社会の問題についてのストーリーで、反面教師的に視聴してみてちょっとショックを受けた。

私は実は外でも家でも食事中はスマホはいじってほしくなくて(調べモノとか急な仕事の用件は別)、やっぱり一緒にいるなら目の前の人とコミュニケーション大事にしようよ、って気になってしまうタイプの人間だった。でも今では私も相手がいじっていたら自分もいじるようになってしまっていた。いじらない相手ならスマホはテーブルの上にも置かないけど。
自分の周りのエンジニアとかIT系の人たち(という括りは偏ってそうだけど)は、普通にスマホいじるし話しかけても上の空みたいなことが多くて、なんで一緒に飯食ってんだろうって思う瞬間が多かったけど、そういう「新しいスタイルの世代」の人たちと関わるならこういうのは仕方ないのかな、指摘したら理屈っぽく返されるし面倒くさいしじゃあもういいやって、段々自分もそっち側に染まっていった感じ。
食事中はスマホいじるなってのは古臭い考え方だ!って感じる人は多いし自分もその気持ちはわかるけど、目の前に私が居るのに相手がツイッターとか見てるのを見ながら食事するのは気分がいいものではない。あとはスマホでいちいち調べないと会話が続かなかったりする人とかも結構居て、その人自身の中身が無いなと感じてしまう。スマホがないと普通に会話もできないのかなと。
で、この映画を観る以前からも自分もこういう状態になりつつあるなとちょっと警戒心を持ち始めていて、今日偶然もうSlackもSNSも見たくない!って状態になったので思いつきでデジタルデトックスをしてみた。
今の社会基盤や周囲のコミュニケーションスタイル、ワークスタイル的にずっとスマホをみないということは無理だが、週に1,2回はやってみるのはアリかもなーと思った。
それくらい、今に集中して生きてるな(小並感)と思えた。


と、つらつら書いていて気付いたけどバイクはデジタルデトックスに最適なツールですね。だから走ると妙にスッキリするのか。