僕とコードとブルーハワイ

omega (@equal_001) の日記

自称お気持ちがわかるマンは言うほど気持ちがわかっていないことが多い、というか人はすべての物事にお気持ちがわかるほど有能ではない。
「自分は辛さや気持ちがわかるんだ」と言っていても1番大事だという相手の心をズタボロ状態にしたしょうもない人間をたくさん見てきたし、結局のところ人というのは自ら体験したり本などで少し状況がインプットされた場面の物事しかお気持ちはわからない。そして「わかる」といっても等価レベルで理解できてはいるわけではない。優秀で慎重な人は想像力をもってこの溝をカバーし、さらに100%カバーできていないという前提で物事に触れる。
昔「わかり手」という言葉が流行ったけどそのわかり手に対して共感してくれた!という表現にずっと違和感があった。自分の解釈としては完全に「わかった(≒共感した)」しているのではなくて一旦「なるほどあなたはそういう状況だったんですね」と受け入れているだけ、という方がしっくりくる。
自称お気持ちマンは自身でその解釈を捻じ曲げているというか、状況を把握して共感までできます、といっている感じがして、「こういう状況だったら辛いだろう」「この人は辛いといっているので辛いんだろう」という情報が既にあるから「辛いのはわかるよ」と共感した気持ちになれているのでは、と思うことがある。
自分も友人のつらみ話を聞いて「それは辛いだろうな」と思うことはあって、自分も似たようなことでしんどい思いしたわーって言うけど100%その人の辛さはわからんな、というのはある(まぁネタで完全に理解したとかは親しい間柄では稀に言うが)。というか100%同じ辛さがわかったら辛いから話を聞くことをやめてしまうと思う。