僕とコードとブルーハワイ

omega (@equal_001) の日記

相手と新しい価値観の中で生きようとするときの、自由と責任

人生観が変わるような、何か新しい概念や価値観を持ち込んで「一緒にやっていきましょう」となった時、受け入れ側へのケアもせず勝手に頑張れ、出来ないならお前が全て悪い、というのはあまりにも無責任。

勿論受け入れる側も知る努力をしなければないけない。
だけれども、持ち込んだ側が「自分はこの概念には慣れてるから別に話し合いなど要らない」というのはかなり自分勝手なこと。受け入れ側だけに負担がいく構造になってしまう。パワーバランスが偏っていて一種の虐待にもとれることもある。

新しい概念を持ち込んで、色々難しい事もあるかもしれないけど一緒にやっていきたい、と言ったのならそれなりの責任と行動をとらなければいけない。
自分がケアを怠り相手に負担をかけ続けた点を一切認めず、正当化しようとして相手の考え方の問題だとかそういう方向へ論点を背けようとするのは卑怯で、全く相手と向き合おうとしていない。
これは一歩間違えたら精神的なDVにもなりえて、この考え方が酷くなると自分が正しいと言ったら正しいんだ、という考えに陥っていく人になってしまう。

人間はそれぞれ感覚が違うので、相手と上手くやっていきたいと本当に思うのであれば、自分だけが楽しければ良い、という考え方はやめて、相手の温度感も汲み取りながら歩みを進めないといけない。

そもそも概念について教えたり色々ケアしても中途半端な言動しかしない相手は論外だが、一生懸命に理解しようと努力し続けてくれる人はとても貴重。
だからこそ、その努力に甘えて何にもしなくていいや、となってはいけない。

「大丈夫」や「誰かに頼る」の基準は人それぞれで、自分がこの程度では頼らないから大丈夫だし放っておいてなんともない、というのは横暴で、傲慢であると思う。
その理論をセンシティブな事象にも当てはめて押し通したいのであれば、何も言わないなら大丈夫ということにします、と最初に認識のすり合わせをすべき。

自分のポリシーは曲げなくてもよいが、世の守るべき最低限のルールや摂理というものを知り、それに伴う責任についてまずは理解しましょう。