僕とコードとブルーハワイ

omega (@equal_001) の日記

他人の失敗を願うという気持ちがよくわからない

他人の失敗を願う人の気持があまりわからなくて、そういうのする人を見かけるとどういった心理なんだろうと考えてしまう。

例えばライバルの同僚が何かしらのミスで失脚して良いポストに自分が入れる、みたいなのはありそうだけども、普段から努力している人じゃないと結局はその良いポストには入れないだろうし、努力できるなら棚ぼたチャンスを待たずに能力でのし上がれそうと思う。
他人が失敗したところで自分の能力が上がるわけでもないし、失敗を願うのはともするとギャンブラーぽい性質の行動に近くて、神頼みをする的な用途で行っているのかも。

賢い人は自分がもっと自由に動ける場所をサクッと見つけ出していて、周りの優秀なビジネスマンは転職の決断が早いなーと見てて思う。



社会的に利害関係のある人もそうだけど、単純に嫌いな人の失敗を願うのもよくわからなくて、嫌な人とか変な人は関わらないのが一番だし、嫌なことに時間かけて意識を割くのってそれ自傷行為だからやめようよって思う。
そもそも私の中では嫌いな人はいなくて、この人はもう無理だなとなったら早々に縁切りモードに切り替えて「その他大勢のどうでもいい人」となっていつの間にか忘れてるので、失敗を願う対象がそもそもなかったりする。
世界中の大半の人達もいうなればその他大勢のどうでもいい人で(認知できないしね)、その中のさらに自分の嫌いな歩きタバコをしている人類に対していちいち意識して失敗しろ!みたいには思わないのと一緒?かもしれない。

自分も大学生とかまでは、サイコパスな先輩&ポスドクと毎日顔合わせててうつ病ぽくなってた時期はイライラしてたけど、相手の失敗を願うというか純粋に私の世界から消えてほしいなと思っていて、多分それがいつの間にか「忘れる」という便利な脳回路として出来上がったのかもしれない。

その時々、というか生きてるその瞬間が大体においてご飯美味しい〜!遊ぶの楽しい〜!実装できた天才〜!とか良い意味でも悪い意味でも欲望に忠実で脳天気な性格が入ってるから、なんか突然嫌味とか言われたり変なことされたりしても、この人自分のコントロール外のことにストレス溜めてて大変そう、家の中に入り込んできたクモにビビってるけど益虫だからクモ吉という名前を付けることでペット的感覚で家に住まわせることを納得させようとしている自分の方が幸せそう、とか考えて、そして大体は今日のご飯何食べようかなって食欲のことで頭がいっぱいになって忘れる。